八月の空の下で

カシャップ・クルカルニ監督作品

ドキュメンタリー

広島で、年老いた被爆者と若き平和ガイドが、核兵器廃絶を願う闘いのなかで出会う。ひとりは街の過去の記憶を背負い、もうひとりはその希望を未来へ運ぼうとしている。

スクロールして始める

原爆投下前の広島

七つの川が流れる、
太田川デルタの街

1589年に城下町として築かれた広島は、やがて商業と文化の栄える都市へと成長した。川には綿や竹、牡蠣、海苔を運ぶ船が行き交っていた。1942年には人口は42万人を超えた。1945年夏、多くの日本の都市が空襲で壊滅していた一方で、広島は比較的被害を免れていた。8月6日の朝、広島にはおよそ35万人がいて、その大半は民間人だった。

原爆投下前の広島の航空写真
原爆投下前の広島を写した偵察写真。米陸軍航空軍。

1945年8月6日 午前8時15分 澄みわたる朝の空。

ボーイングB-29爆撃機エノラ・ゲイは、ポール・ティベッツ大佐の操縦と11名の搭乗員により、マンハッタン計画という極秘の20億ドル計画から生まれた兵器を運んでいた。

「リトルボーイ」と呼ばれたウラン爆弾は、理論上きわめて信頼性が高いとされ、設計者たちは実戦規模の完全な爆発試験を行わなかった。世界の濃縮ウラン235の多くが、この一発に集められていた。

広島上空で、それは44.4秒間落下した。

そして市街地のほぼ真上、島外科付近の上空580メートルで爆発した。

B-29爆撃機 エノラ・ゲイ
リトルボーイ

1945年8月6日 · 08:15:17

8:15
1945年8月6日。
広島で、時が止まった瞬間。

火球は0.2秒で摂氏7,700度に達した。半径1.6キロ以内のものは、ほぼすべてが消滅した。人も、建物も、木々も、蒸発した。人間の集住地に対して本格使用されたことのなかったこの兵器は、たった一度の閃光で8万人の命を奪った。12月までに、死者は14万人に達した。

さらにスクロール

たった一瞬の静寂のうちに、人も、建物も、ひとつの都市そのものも、すべてが白い灰となり、八月の空の下へと消えていった。

その後

残されたのは、断片、記録、そして記憶を語り継いだ生存者たちの声だった

被爆者の証言を描いた絵

被爆者の証言。破壊された街路を逃げる学生たち。

140,000
1945年12月までの
死者数
子どもの三輪車

子どもの三輪車。広島平和記念資料館。

92%
破壊・損壊した
建造物
Fire

「火」。丸木位里・俊《原爆の図》。

Fused ceramics

溶けて癒着した陶器。広島平和記念資料館。

13 km²
火災旋風で
焼失
Water

「水」。丸木位里・俊《原爆の図》。

43秒
投下から
爆発まで
Survivor testimony

被爆者の証言。負傷者を運ぶ子どもたち。

30
298人中
生き残った医師
Crowd

「群衆」。丸木位里・俊《原爆の図》。

80,000
最初の爆発で
死亡
Victims

失われた人々の面影。広島平和記念資料館。

飯田さんのポートレート

被爆者の記憶

クニヒコ・イイダ

飯田さんは、1945年8月6日の朝、3歳だった。爆心地からおよそ900メートル離れた母方の実家にいたとき、空が白く閃いた。爆風で宙に投げ出され、崩れ落ちた家屋の下敷きになったが、祖父が瓦礫の中から助け出した。1か月も経たないうちに、母と4歳の妹は放射線障害で亡くなった。

公の場で体験を語れるようになるまで、60年以上の歳月を要した。80代となった今も、ほぼ毎日広島平和記念公園に立ち、訪問者や海外からの代表団に向けて、自らが幼少期から抱え続けてきた記憶を語り、核兵器廃絶を訴えている。

首の複数の腫瘍、直腸がん、そのほかの長年の後遺症を抱えながらも、きちんとしたスーツと平和の印を掲げた帽子で、今なお語り続けている。

1945年の原爆ドーム 現在の原爆ドーム
Iida sharing testimony
訪れる人々に証言を語る。
Iida presenting
来訪者に被爆の実相を伝える飯田さん
Iida guiding visitors
広島の歴史を訪問者に伝える。

「地獄には八段階あると言われます。でも九段目が原爆です。原爆は、何も悪いことをしていない人まで、一瞬で破壊してしまうのです。」

駿さんのポートレート

次の世代

シュン・ササキ

佐々木駿さんは12歳。1945年に原爆が街を破壊した場所からほど近い広島平和記念公園で、平和ガイドとして活動している。黄色いベストを着て、自分で丁寧に準備したメモを手に、世界各地から訪れる人々を案内し、この場所で何が起きたのかを驚くほど明晰に伝えている。

駿さんにとって、広島とのつながりは個人的なものでもある。曽祖母は被爆者だったが、多くの被爆者家庭と同じように、その記憶は家庭で多く語られてこなかった。駿さんは記憶を受け継いだのではなく、自ら探しにいった。

7歳のとき、駿さんは母に「原爆ドームはなぜ今も残っているの?」と尋ねた。その子どもの問いは、やがて調べ学習となり、使命へと変わった。今では「平和」と記した折り鶴を折って出会った人々に手渡し、ここで起きたことを人々が知れば、二度と繰り返されないと信じている。

来訪者を案内する駿さん
原爆の子の像で来訪者を案内する
平和ガイドとして活動する駿さん
世界中から訪れた人々に折り鶴を手渡す駿さん
来訪者と折り鶴を手にする駿さん
平和記念公園でともに鶴を折る

飯田さんが記憶の重みを背負うなら、駿さんが運ぶのは希望の軽やかさだ。老いた者と若い者が同じ場所で出会い、同じ物語を語り継ぐ。それは、決して忘れさせないために。

Iida and Shun at eternal flame

広島の平和の灯は1964年から燃え続けている。地球上から最後の核兵器がなくなるまで、その火は消えない。飯田さんと駿さんのような声が、世代を越えてその約束を守り続けている。

広島平和記念公園

制作者たち

制作チーム

監督・プロデューサー

カシャップ・クルカルニ

カシャップ・クルカルニは、ドキュメンタリー表現を軸に活動する映画監督・編集者。文化を越えて、人間の経験、記憶、そしてレジリエンスを見つめる作品を手がけている。

プロデューサー

アカシュ・ヤダヴ

アカシュ・ヤダヴは、歴史、災害、人間のレジリエンスが交差する地点で活動するリサーチャー兼プロデューサー。私たちの未来を形づくる記憶と物語を残すことに取り組んでいる。

本作を支える

この記憶を、未来へつなぐために

世界は再び、戦争へと近づいているように感じられます。私たちの多くは、その不安や恐れを自ら経験したことはありません。それでも、画面越しに日々その暴力を目にしています。歴史を繰り返さないために、私たちは戦争が本当に何を奪うのかを忘れてはなりません。

この映画は、その記憶を生き続けさせるための試みです。戦争と破壊のない未来を思い描くために、どうかご支援ください。

Stripe、PayPal、Razorpay による安全な決済に対応しています。皆さまのご支援のひとつひとつが、この物語をスクリーンへ近づけます。

資料

作品についてさらに知る

注目映像

シズルリール

このドキュメンタリーの核となるもの、広島の人々、そして受け継がれるべき記憶を映し出したシズルリールをご覧ください。

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